うちの子が虹の橋を渡った日|16年連れ添った愛犬を見送って
チョコがいなくなって、もう2年が経ちました。
ミニチュアダックスフンドの女の子。16歳でした。2年前の春、腎臓病が悪くなって、わたしは自宅でこの子を見送りました。
いまでも、ふとした瞬間に足元を探してしまいます。ソファの隅の、あの子が丸くなっていた場所を。
今日は、チョコが虹の橋を渡った日のことを、少しだけ書かせてください。同じ日を迎えようとしているあなたに、あるいはもう迎えてしまったあなたに、届けばいいなと思って。
異変に気づいた日
最初は、ほんの些細なことでした。
大好きだったごはんを、少しだけ残すようになったのです。「今日はお腹いっぱいなのかな」。そう思いたかった。でも次の日も、その次の日も、お皿には食べ残しがありました。
水を飲む量が増えて、その割におしっこの色が薄い。動物病院で6年働いていたわたしには、それが何を意味するのか、頭ではわかっていました。腎臓が、もう頑張れなくなってきているのだと。
わかっていたのに、認めたくなかった。
病院の窓口では、そういう飼い主さんをたくさん見てきました。「うちの子に限って」「まだ大丈夫なはず」。検査結果を前にして、なかなか受け入れられない方の気持ちが、そのときようやく、本当の意味でわかった気がします。
わたしは元スタッフというだけで、獣医師ではありません。かかりつけの先生に相談して、できる範囲のケアを続けることにしました。点滴、療法食、そして、この子が痛くないように過ごせること。それがわたしにできる、精いっぱいでした。
「その日」の朝の記憶
最期の数日は、チョコはほとんど眠っていました。
抱き上げると、ずいぶん軽くなっていました。あんなにおやつをねだって、ソファに飛び乗っていた子が。
その日の朝のことを、わたしは今でもはっきり覚えています。
いつもより早く目が覚めて、チョコの様子を見に行きました。呼吸が、とても静かでした。名前を呼ぶと、うっすら目を開けて、しっぽの先を少しだけ動かしてくれました。
「おはよう」と声をかけて、頭をなでました。あたたかかった。
わたしは仕事を休んで、その日はずっとそばにいました。膝の上に乗せて、好きだった毛布でくるんで。窓から入る春の光が、チョコの背中を照らしていました。
お昼を過ぎたころ、チョコの呼吸がゆっくりになりました。苦しそうではありませんでした。眠るように、静かに。
わたしは「ありがとう」と、何度も伝えました。それしか言えませんでした。
そして、その手のなかで、チョコは旅立っていきました。
病院スタッフだったのに、何もわからなくなった
不思議なものです。
わたしは動物病院で6年間、たくさんの命の始まりと終わりに立ち会ってきました。ご家族に火葬のご案内をしたことも、何度もあります。手順は、頭に入っているはずでした。
なのに、いざ自分の子となると、何もわからなくなりました。
その夜、わたしはチョコのそばに座り込んだまま、動けずにいました。冷たくならないように、保冷剤とタオルで整えてあげること。それくらいはできたけれど、その先、どうすればいいのか。
深夜、泣きながらスマホで「ペット 火葬」と検索していました。画面の文字が、涙でにじんで読めませんでした。
たくさんの業者さんが出てきて、どこにお願いすればいいのか、まったく判断がつかない。プロだったはずのわたしが、一人の飼い主として、こんなにも途方に暮れるなんて。
結局その夜は決めきれず、朝を待って、落ち着いてから訪問火葬の業者さんに連絡をしました。自宅まで来てくれて、丁寧にお別れをさせてくれるところを選びました。
もし、いま同じ状況にいる方がいたら、伝えたいことがあります。慌てなくて大丈夫。冷やして安置してあげれば、少しの時間は一緒にいられます。落ち着いてから選んで、遅くはありません。
※お別れの方法やご遺体の安置については、状況によって適切な対応が異なります。不安なときは、かかりつけの動物病院に相談してみてください。
お別れのとき、してよかったこと
火葬の前に、わたしがしてよかったと思うことが、いくつかあります。
わたしの場合は、ですが。
好きだった毛布を、そばに入れました。 チョコがいつも丸くなっていた、あの毛布です。においがついたそれを、一緒に。
肉球のスタンプを取りました。 インクをつけて、白い紙にそっと。ぷにぷにした、あの肉球の形が、いまも手元に残っています。取っておいて、本当によかった。
たくさん写真を撮りました。 元気だったころの写真はたくさんあったのに、最期の数日の写真が少なくて。眠っているチョコの、静かな顔も、勇気を出して撮りました。あとから見返すのは辛いけれど、それでも、残しておいてよかったと思っています。
そして、家族みんなで、ゆっくりお別れの時間を持ちました。
「ちゃんとお別れができた」。この実感が、あとになってわたしを支えてくれることになるのですが、それはまた別のお話です。
してあげられることは、人それぞれです。何もできなくても、そばにいてあげるだけで、きっと十分です。
「虹の橋」の詩に救われたこと
チョコを見送ったあと、わたしは眠れない夜を過ごしました。
そんなとき、ある詩に出会いました。「虹の橋」という、作者不詳の古い詩です。
亡くなったペットたちは、虹の橋のたもとにある、緑の野原で過ごしている。痛みも歳もなく、元気に走り回って。そして、いつか飼い主が来る日を、待っている――。
再会できるとき、その子は駆け寄ってきて、もう二度と離れない。そんな内容の詩でした。
科学的な話ではないのは、わかっています。でも、あの夜のわたしには、この詩が必要でした。
チョコが、どこかであの毛布にくるまって、しっぽを振って待っている。そう思えたとき、はじめて少しだけ、息ができた気がしました。
このブログの名前を「虹のたもと」にしたのも、あの詩に救われたからです。
同じ日を迎えるあなたへ
もし、あなたがいま、同じ日を迎えようとしているなら。
あるいは、もう迎えてしまって、この文章を涙で読んでいるなら。
ひとつだけ、伝えさせてください。
悲しみ方に、正解はありません。
大声で泣いてもいい。何日も立ち上がれなくてもいい。逆に、涙が出なくても、それはあなたが冷たいからではありません。悲しみの形は、人の数だけあります。
「もっと早く気づいてあげられたら」「あのとき、ああすればよかった」。そんな後悔が押し寄せてくるかもしれません。わたしもそうでした。病院で働いていたのに、と何度も自分を責めました。
でも、あなたは、その子のためにできることを、精いっぱいしてきたはずです。その子がいちばん知っています。
あなたに出会えて、幸せだったと。
チョコがいてくれた16年間は、わたしの宝物です。この悲しみも、あの子を愛した証拠なのだと、いまは思えるようになりました。
この記事を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
もし、いまあなたが深い悲しみのなかにいるなら、ペットロスとの向き合い方 の記事も、そっと書いておきました。焦らなくていい。あなたのペースで、読んでみてください。
また、あの夜のわたしのように、お別れの方法に迷っている方には、後悔しないための見送りの選択肢 をまとめています。少しでも、あなたの助けになりますように。